音楽とノンストップ飯田

【後編】音楽とノンストップ飯田

みなさん、こんにちは、こんばんわ、おやすみなさい。

いや、寝る前にちょっと読んでください。

ノンストップ飯田です。

前回は、大学受験とともにバンド活動を休止したところまで書きましたね。

↓前編

前編に引き続き、飯田がどのように音楽と付き合ってきたのか、そしてどのように音楽を捨てたのか。

書いていきたいと思います。(捨てられたんじゃない、こっちから捨ててやったんです。嘘です。)

学時代~飯田性欲に魂を売り渡す~

大学受験は終わっても、すぐにはバンドは活動再開しませんでした。

みんな大学入ったばっかりで、新歓コンパやらサークル活動やらで忙しかったので、それどころじゃなかったのが正直なところです。

中学・高校と半ば男子校状態だったので、女子が普通にその辺を歩いていらっしゃる状況も尚更でした(笑)

大興奮した飯田も、何とか彼女というものを久しぶりに作り、学生活にいそしみました。

今日はあのホテル、昨日はあそこのホテル、もうお金ないから外でもいいんじゃないか・・・(サル並み・・・)

そんなこんなで、高校時代に失った何かをひたすら取り戻す作業に追われていました・・・(多分、メンバー全員)

ークル活動といえばやっぱり・・・

飯田もサークルに入りました。

そう、大学生のサークルといえばやっぱり女子との触れ合いがおおい・・・・

軽音楽部(笑)

おーい!せっかくの大学だよ!?かわいい女の子が沢山いるテニサーとかに入ろうよ、、、

その時の飯田は、チャラチャラしたザ・大学生みたいなのが嫌いでした。(自分もサルだったくせに・・・)

今となっては、ホントにどうでもいいこだわりですけど。

軽音楽部は、割と硬派な部で、プロのミュージシャンになる方が毎年チラホラいました。

そんなこんなで、部室で楽器を触ってるか、学内のスタジオで練習してるか、飲んでるか、、、

この3つの繰り返しが基本でした。

軽音楽部での貴重な経験

僕がいた軽音楽部では、割と頻繁に学内でのイベントライブがあり、その度にバンドを自分たちで組んで演奏します。

殆どカバーでしたが、気が合うメンバーと複数回組んでいると、オリジナルなんかもやる機会が出てきます。

自分のバンドでもオリジナルなんて持ち込んだことがありませんでしたが、ある時、恐る恐るオリジナルを持ち込んで学内のライブで演奏したところ、なかなかの好評価をいただけました。

これで少し自身をつけた飯田はMTR(マルチトラックレコーダー)を中古で買って、少しずつ曲を書きためるようになりました。

また、同じギタリストでも十人十色だったりして、いいところをマネしたり、いきなり組んだバンドメンバーとどのようにコミュニケーションすればいいかなんかもこの時期、学んだ気がします。

何より、それまでは同じメンバーとばかりやっていたので、コロコロ違う人と組んで練習したりすること自体が新鮮で楽しかったですね。

一人すごく歌の上手い女の子がいて、よくその子と組んでGLAYやら、SIAM SHADEなんかをやってました。

↓3分の1の純情な感情/SIAM SHADE 演奏しているのはめちゃくちゃ楽しかった。

硬派なサークルだったので、先輩からの受けは非常に悪かったです。

フュージョンとか、ジャズあるいはゴリゴリのメタルは褒められるのですが、所謂ポップなものは軽んじられる傾向にありました。(オリジナル除く)

正直、玄人ぶった感じにいつもウンザリしました。

イライラした時はとにかく暴れられる曲を男衆を集めたバンドでやって発散していました。

↓神歌/MAD CUPSULE MARKETS これもやっているうちに何弾いてるか良くわかんない状態になってました 笑

軽音楽部からのドロップアウト

1年くらいはサークルを楽しんだんですが、頑ななまでに硬派な雰囲気と、閉鎖的な環境に嫌気がさして結局1年でやめました(笑)

実は1年たったくらいで、元のバンドメンバーたちも生活が落ち着いてきて、再結成したこと、飯田がバイトにハマりすぎて学校にほぼ行かなくなるという事が主な原因です。

家庭教師やりましょう!という営業のバイトなんですが、歩合給、夕方から始発までというバイトで、きついのですが、とにかく人が面白かった(笑)

それはまたいつか書きますが、とにかくもう学校にいかなくなるわ、単位も殆ど取らないわで滅茶苦茶な大学生活がはじまり、バイト・バンド・バイト・バンド・・・

という日々でした。

聴く曲も退廃的な感じになっていき、レッチリを脱退したジョン・フルシャンテが麻薬欲しさに出したアルバムを聴いて「なんだこれ!?めちゃくちゃいいな!」とどっぷり聞きまくったり、この時作っていた曲も変な曲ばかりでした。

ンド再結成と初めてのライブハウス

再結成後のバンドは、比較的精力的に活動しました。

初めてライブハウスでの演奏もしました。渋谷のtakeoff7というライブハウスで(まだあるのかな?)、それはそれは緊張するかと思いきや、そうでもありませんでした。

その後は新宿のHEADPOWERなどに出演しながら、徐々にオリジナルについてもアレンジをしたりして増やしていきます。

谷Gig-Anticとの出会いと別れ

社会人になり、地方にボーカルが行ってしまい、ベースも就職で脱退、、再び活動が危ぶまれましたが、奇跡的にベースが見つかります。

それは、、、飯田の妹の彼氏(笑)

初めは軽い気持ちで、とりあえずスタジオにはいったんだけど、これがめちゃくちゃフィーリングが合って、ずっとこの3人でやってたよね?ってくらい。

しかも、イケメンで歌も歌えるときた。

即加入をお願いし、飯田がギターと合わせてボーカルをやることで格好を整える。

この頃メンバー全員にがハマっていたのが、椿屋四重奏。

↓ 道連れ/椿屋四重奏 初期の椿屋はかっこよすぎて、日比谷の野音に雨の中見に行った記憶があります。

邦楽でここまでカッコ良い男性バンドはおらんと、カバーから初めて、徐々にオリジナルを増やしていきました。

そして我がバンドは、定期的に出演できて居心地がいいライブハウスはないかとデモテープを配り歩いていたところ、渋谷Gig-Anticに出演させていただけることになりました。

気に入っていただけたのか2回目以降トリをとらせていただけるようになります。

定期的に出演しては、スタジオで曲作りという日々を送ります。

が、、、ここで再びドラムに海外赴任の話が、、、

ここで飯田のバンド活動は終了します。

バンド終了後は何故かドラムを始めてみたり、曲をたまに遊びで書いたり、演奏は続けています。

最後に、ちょうどGig-Anticに出演していたころにやっていた曲を記念にYoutubeにアップしておいたのを思い出して、探したらまだありました笑
宣伝も特にせず、何だったらメンバーにも内緒であげていたのですが、誰かが見つけて聴いていてくれたんだと思うと、ちょっと嬉しいですね。

↓の2曲はよくやっていた曲です。

世田谷/helpless

flyaway/helpless

実は、大学入学前になぜか一時期ヒップホップグループに加入していたことがありまして・・・
その時の話はいずれ番外編として書きたいと思います。笑

ご覧いただきありがとうございました!